エッセイ 「石ころ」  白鳥文明
『星窓』第16号掲載作品


「石ころ」     白鳥 文明 (山口県)


 アイスキャンディー1個5円の頃のお話。昭和30年代、はなたれ子供がワンサカ村中に溢れ
ていた頃の苦いお話。
 5本の指が変形して右足の踵が地に着かず、「さとっさん」と皆が呼んでいた一人暮らしのお
じさんがいた。さとっさんは家の玄関で、一坪ほどの駄菓子屋を細々とやっていた。
 店一番の売り物は、袋に入った甘納豆の籤。当れば大きな袋入りの甘納豆が余分に手に入
る仕掛けだった。
 だれかれとなく店を出入りするうち、大きな袋は少しずつ減っていき、やがて籤の数と大袋の
数が同じになる。だが、どうゆうわけか、必ず2、3袋残ってしまい、誰の手にも入らないまま籤
が終わってしまう。お小遣いを貯めては通っていた僕らには、そのことがとても理不尽で、いつ
か仕返しをしようと企んでいた。
 夏になると、さとっさんは、手押し車にキャンディーを載せて、チリンチリンと大きなベルを鳴ら
しながら、村中を回る。不自由な足を引きずって歩く。首に掛けた手ぬぐいがびっしょりになる
ほど汗をかいて、路地を歩く。
「アイスくれー」と叫ぶと、その声のする方へ近付いて行く。僕たちは、物陰に隠れて「アイス、く
れー、くれー」と大声を掛けては、さっと逃げていく。さとっさんは声のする方へ一生懸命近付い
て来る。何度か繰り返すうちに、さとっさんはベルを鳴らさず、押し車を精一杯押して立ち去っ
ていく。僕らは大笑いで大人を負かした満足感に浸った。
 ある日の学校の帰り道、店の前を通りかかると1枚の絵を広げているさとっさんの姿が見え
た。覗き込んでいると、手招きされたので入ってみた。すると、「この絵は僕が描いたんじゃがう
まいだろう」と嬉しそうに言った。四つ切りの画用紙に水彩で描いたもので、南国の湖で女の人
が長い髪を洗っている不思議な絵だった。
 おそらく写真を見て描いたものだったろうが、僕にとっては初めて見る本当の絵らしい絵だっ
たので、鮮烈に覚えている。
 それからは、さとっさんが何だか特別の人に見えてきて、時々色んな絵を見せてもらいに行
っていた。勿論、僕はからかうことにも気が入らなくなり、仲間もいつの間にか絵を見るのが楽
しみになっていた。
 さとっさんのベルの音がこの村から聞こえなくなったのはいつの頃だったろうか。あの孤独な
おじさんは、きっとどこかの施設に入って、もう何年も前にこの世を去ったはずだ。
 あの絵は、一体どうなったのだろうか。
 僕の右の靴には、細々と店を出し、不自由な体を押してアイスキャンディーを売り、精一杯生
きている大人をいじめた、小さな懺悔の石ころが一粒は入っていて、今でも時々傷む。


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